美人投票と株価のファットテール

楡井誠 (一橋大学イノベーション研究センター)

2012年4月

日経ビジネスオンライン「気鋭の論点」2012年5月1日記事 編集前著者最終稿

株式市場は企業価値を反映する鏡である。その鏡は企業の刻一刻と移り変わる将来性を抜かりなく映し出す。市場参加者という無数の匿名な観察者は、経営者が直視したくないような醜い欠点まで、冷酷にあぶりだしては評価に算入していく。

市場はまた社会プロセスとして例外的なほど機敏で迅速だ。1986年にスペースシャトルチャレンジャー号爆発事故が起きた後、政府調査委員会が事故原因をOリングとよばれる小さな部品に特定するのには数ヶ月を要した。ところが市場においては事故わずか21分後に、シャトル関連企業のなか唯一値がつかない企業としてOリング供給企業が識別されていたのである(注1)。“Market knows”などと冗談半分、本気半分に崇められもする所以である。

その市場が大きく外すことがある。バブルの発生と崩壊は良い例だが、そこまで巨大な事例でなくとも、個別企業や産業などが、とりたててさしたるニュースもないのに大きく値を上げたり下げたりする。実際のところ、「外すことがある」どころではない。株価の実際の振幅と理論値の振幅を比較してみれば、実際の方がいつでも大きい。株式市場は、長い目で見れば企業価値の水準をよくとらえるのだが、短期的には過熱したり冷えきったりとブレまくるのである。

株式市場のそんな気まぐれな振るまいが、美人コンテストに似ている、とケインズは言う。ただし普通の美人コンテストではない。ケインズの美人投票では、賞をもらうのは優勝した美人ではなく、その美人に投票した人である。このゲームでは、優勝した美人が本当の美人であっても良いけれど、そうである必要もない。重要なのは、みんなが投票した美人に自分も投票していることである。ところが、みんなも同じように他のみんなと同じ美人に投票したいと思っている。その結果、圧倒的多数を集めて優勝した美人のことを、本当のところ誰も美しいと思っていなかったといった珍事が、普通に起こることになる。

もしもみんながめいめい正直に美人と思う人に投票していれば、「多くの人の賛同を得た」という意味で客観的な美人を選ぶことができただろう。同様に株式市場でも、個々のトレーダーがファンダメンタルな情報を地道に収集して投資判断をしているならば、株価は客観的な企業評価となりうる。トレーダーの自己利益追求が社会的に有意義な情報を生み出す、これこそ市場の情報集約機能である。ところが、奇妙な美人投票が示すように、市場の性能には若干の綻びがある。

そしてこの綻びが、市場の「外し方」に法則性を与えている可能性がある。株価振動の分布は、正規分布よりも裾部分の確率が重い、いわゆるファットテールに従うことが知られている。例えば、TOPIXの日次成長率(始値と終値の対数の差)を見ると、標準偏差3以上の大きさの振動が起こる頻度は1%、標準偏差4以上は0.46%、5以上は0.25%、そして10以上は0.05%である。この頻度は、正規分布と比べると、3.7倍、72倍、4003倍、そして3000京倍大きい。

世の中の多くの現象は正規分布に従う。これは、ある現象がさまざまな独立な要因の和として起こるとき、集計量が正規分布に従うという性質(中心極限定理)をもつからである。だから、受験偏差値も正規分布に従う。平均は偏差値50で、標準偏差で1外れると偏差値は10増減する。したがって標準偏差で5も外れる現象というのは、偏差値で言えば100以上か0以下という、大概な成績を取るくらい珍しい。それほどの珍事が、株式市場では1年に1日は起こるというのだ。

株価振動のテールの場合、単に正規分布より厚いだけでなく、べき則(power law)とよばれる顕著な法則性をもつ。TOPIXで言えば、変化幅を2倍にとると、それより大きな変化が起こる確率がだいたい2の2.5乗下がる。これは変化の水準によらない。つまり、標準偏差2と4をみても、4と8をみても、確率の比は同じである。またどの国の市場をみても、べき乗数はだいたい3くらいの値になっている。

とすると、株価の変動は、国によらず時代によらず、また変動の大小にもよらず、同じメカニズムから起こっているのかもしれない。日々の上げ下げも100年に一度のクラッシュも、同じ市場の綻びから生じるのかもしれない。ケインズの美人投票は一つのヒントを与えてくれるが、それだけではこの規則性を説明できない。奇妙な美人投票は、どんな候補でも優勝する可能性があることを示すだけだからだ。

市場のその小さな綻びは、価格に内在している。値上がったときは、誰かが市場のコンセンサス以上の値段で買っていることを意味する。それをみて他のトレーダーは、コンセンサスに織り込まれていないポジティブな情報をこの買った誰かが手に入れたに違いない、と推測するだろう。したがって、他のトレーダーはこの値動きを自分の情報に取り込み、買いに傾く。

しかし推測はそこでは終わらない。みんながこの値動きをみて自分の情報を更新したはずなのに、そこで値が止まっているならば、それは一斉に買いに走るほどには他のみんなの事前の情報が良くはなかったからのはずだ。トレーダーはそう推測し、他のみんなが事前にもっていただろう情報についての新しい情報を自分の情報に取り込む。

この推測の連鎖の帰結として、最初の1人の買いがもたらしたポジティブな情報は、それを見ても静観したままである他のトレーダーによって均される。したがって、もしトレーダーがN人いたら、1人の買いは個々人の情報に1/Nのインパクトしかもたらさない。これは、個々のトレーダーが平均的トレーダーの行動に追随しようとするケインズの美人投票の状況に他ならない。

美人投票のケース、すなわち1人の買いがもたらす情報のインパクトが平均して1人のトレーダーの追随買いを誘う程度であるとき、最終的に収束するまでに何人のトレーダーが追随するだろうか?この追随買いの大きさが、実はべき分布則に従う。どんなトレーダーがどのようなルールで売買しているのかという市場の微視的構造(market microstructure) が株価振動に規則性を与えていることがここで示唆されている。(注2)

美人投票の面白いのは、そのロジックが投票人の数Nに依存しないところだ。個々人が平均的行動をトレースするときに起こる集団行動の振るまいは、Nが十分大きければ、Nのサイズに依存しない。個別株のマニアックな盛り上がりから起こる振動も、世間の耳目を集めるようなマクロ振動も、同じメカニズムに従うことになる。美人投票は、2人3人のミクロな戦略ゲームでもなければ、互いに打ち消し合って静謐なマクロに佇む1モルの分子集合でもない、メゾ・スコーピックな領域での集団行動を活写している。

市場も民主的投票も、メゾ・スコーピックな人間社会のさまざまな問題に優れた解を与えてくれる社会制度である。しかしその制度が、ときに暴風のような社会変動を引き起こしてしまう可能性を美人投票は示している。その暴風を未然にふせぐ一つの方策は、個々人が自分で情報を集め、自分ならではの判断を下し、他人と違う行動を取ることを恐れないように仕向けることだ。個々人がそれぞれの偏りにしたがって、てんでばらばらの行動を取るとき、個々のエラーは大きくなっても、社会全体のエラーは格段に小さくなるのである。

注1) Maloney and Mulherin (1998), “The Stock Price Reaction to the Challenger Crash,” SSRN 141971. またSurowiecki (2005), “The Wisdom of Crowds,” Anchor も参照のこと。

注2) この分布のべき乗数は1.5となる。追随買いするトレーダーの数の分布がいかにして株価変動の分布に変形されるかについて、詳しくはNirei, “Beauty Contests and Fat Tails in Financial Markets”(一橋大学ワーキングペーパー、2011)を参照されたい。株価のべき則についてはGabaix, Gopikrishnan, Plerou and Stanley, “Institutional Investors and Stock Market Volatility” (Quarterly Journal of Economics, 2006) が別の説明を与えている。